鬼子母神さまのサクッとあらすじ!
まずは、登場人物と簡単なあらすじを見ておこう♪
- 鬼女(おにおんな)…子どもをさらうおそろしいおんな。
- お釈迦(しゃか)さま…村人のねがいをききとどけるため、鬼女をさとす。
- とあるへいわな村に鬼女があらわれるようになり、子どもがみんなさらわれた。
- 村の大人たちはお釈迦さまに助けをもとめにいった。
- お釈迦さまは鬼女をさとすために、鬼女の子どもをひとり連れ帰った。
- 子をうばわれるきもちを知った鬼女は改心し、鬼子母神とよばれる神さまになった。
鬼子母神さまのあらすじ!
むかし、狭山(さやま)にへいわな村がありました。
その村では、大人はせっせとはたらき、子どもはよく遊んでいました。
しかし、あるときからその村に、
子どもをさらう鬼女があらわれるようになりました。
おそろしい鬼女は夕ぐれになると村へやってきて、
毎日、ひとり、またひとりと子どもを連れていきました。
村の大人たちは、子どもをうしなって悲しみにくれています。
ついに、村には、子どものすがたがまったくみあたらなくなってしまいました。
「これは、お釈迦さまにおねがいするしかない」
村の大人たちは意を決して、お釈迦さまがいる山へむかいました。
そこで、なんどもなんども、お釈迦さまをよびます。
「お釈迦さま、お釈迦さま! たすけてください!」
「わたしたちの子どもを、とりもどしてください!」
すると、光につつまれたお釈迦さまがあらわれて、
なんとかすることを約束しました。
さて、お釈迦さまはお空から、鬼女の家のようすをうかがいます。
ひとつのほらあなには、さらわれた子どもたちがぎゅうぎゅうにおしこまれていて、
わーん! わーん! と、みんな泣いていました。
しかし、もうひとつのほらあなには、鬼女の子どもたちが一万人いて、
鬼女はじぶんの子どもたちだけをとってもかわいがっています。
それを見て、お釈迦さまはかんかんに怒りました。
そして、鬼女の子どもをひとり、おおきなてのひらにのせて連れ帰ります。
子どもがひとりいないことに気づいた鬼女は、大泣き。
「わたしの子がいない! わたしの子がいない!」と、
さけびながらあたりをさがしまわりました。
お釈迦さまは、そんな鬼女の前にあらわれます。
「お釈迦さま! どうしましょう、わたしの子どもがひとりいないのです、どうしましょう!」
鬼女は、お釈迦さまに泣いてすがりました。
けれどお釈迦さまは、ゆっくりとかたりかけます。
「おまえは、一万人も子どもがいるのに、ひとりでもいなくなるとそれほど悲しいのか」
鬼女が、首をなんどもたてにふると、お釈迦さまはつづけました。
「それなら、おまえから子をうばわれたものも、おなじように悲しいのがわかるのではないか」
お釈迦さまにそう言われると、鬼女は、おおつぶのなみだをとめどなくながしました。
そのようすを見てお釈迦さまは鬼女に子どもを返してやり、
そのあと、鬼女も、村へすべての子どもをもどしにいきました。
「わたしがわるかった、ほんとうにわたしがわるかった」
ふかく反省をした鬼女は、その後、お釈迦さまの弟子(でし)となり、
鬼子母神(きしもじん)とよばれる、安産と、子どもを病気からまもる神さまになったそうな。
おしまい。
鬼子母神さまのまとめ、教訓と感想!
このお話には、ふたつ、ポイントがあるように思います。
ひとつめは、
「自分に大事なものがあるように、ほかのひとにもきっと、大事なものがあるよ」
というふうに示しているよう受け取れるところです。
ふたつめは、
鬼女がきちんと反省できたところではないでしょうか。
相手のきもちを考えなおして、自分のつみをみとめた鬼女だからこそ、神さまになれたのだと思います。
たとえあやまちをおかしたとしても、そのあとの行動はきっと、とても大切なのだと思います。
夕方に外にいると、鬼女以外のこわいものも来るかもしれないね!
お外であそぶのはたのしいけど、ちゃんとおうちに帰れるように、時間やまわりに気をつけてあそぼうね。