若返りの水のサクッとあらすじ!
まずは、登場人物と簡単なあらすじを見ておこう♪
- おじいさん…山から帰る途中、『若返りの水』が湧き出ているのを発見する。
- おばあさん…若返ったおじいさんを見て、びっくり! 自分もきれいになろうと水を飲みに行くが…
- 炭焼の仕事をしているおじいさんは、山から家へ帰る途中、湧き水を発見し、カラカラだった喉をうるおす。
- おばあさんは、おじいさんを見て、びっくり! なんとおじいさんは、結婚当初の若者になっていたのだ!おじいさんから『若返りの水』の話を聞いて、おばあさんは翌日、さっそく飲みに行く。
- ところが、待てど暮らせど、おばあさんが戻ってこない。おじいさんは村の人達の手も借りて、おばあさんの捜索をする。
- ようやく、おばあさんを発見!『若返りの水』を飲みすぎて赤ん坊になってしまっていた。
若返りの水のあらすじ!
むかし、むかし。
山のふもとの小さな村に、炭焼き(山の木を切って木炭を作る仕事)をしているおじいさんが、おばあさんと二人で暮らしておりました。
おじいさんはすっかり年を取っており、だんだん仕事がつらくなってきていました。
その日もおじいさんは炭俵をかついで、よたよたと山を降り始めました。
おじいさんは喉が乾いてたまりません。
ふと見ると、道端に突き出た岩から、綺麗な水がちょろちょろと湧き出ているではありませんか!
「こいつは、ありがたい」
おじいさんは喜んで、冷たくて美味しい湧き水を飲みました。
「ばあさんや、帰ったよ」
「おや、早かったですね。
…おじいさん!?」
おばあさんは、おじいさんを見て、びっくり仰天!
なんとまぁ、おじいさんは、おばあさんが嫁いできた頃の若い姿になっているではありませんか!
「私は、夢でも見ているんじゃないでしょうねぇ?」
おばあさんに言われて、おじいさんは初めて、自分が若返っていたことに気が付きました。
「あれが噂の『若返りの水』だったんだな」
おじいさんは、おばあさんに、岩から噴き出していた綺麗な水を飲んだ話をしました。
「まぁ。
そんな結構な水があるなら、私もいただいてきましょう」
おばあさんは目を輝かせ、翌日、早速、山に出かけていきました。
おばあさんは、どんなに綺麗に若返って帰ってくることでしょう。
おじいさんも楽しみに待っていました。
ところが…
夕方になっても、夜になっても、おばあさんは、さっぱり帰ってきません。
おじいさんは心配になり、村の人達に頼んでおばあさんの捜索に出ました。
「一体、どこへ行ってしまったんだろう」
「きつねに化かされて、山奥に連れて行かれたのではないか?」
みんなが話し合っていると…
おぎゃぁ…
おぎゃぁ…
そばの草むらの中から、赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
おじいさんが近づいてみると、なんと、おばあさんの着物を着た赤ちゃんが、顔を真っ赤にして泣きじゃくっているではありませんか。
「バカだなぁ。
飲みすぎて、赤子になってしもうた…」
おじいさんは苦笑いをすると、赤ん坊を抱いて家へ帰りましたとさ。
若返りの水のまとめ、教訓と感想!
小さい頃は早く大人になりたくてたまらなかったものですが、年をとって能力の衰えを感じ始めると、やはり若返りたくなるのは、昔からの世界共通の願いです。
とは言え、『若返りの水』は
「赤ちゃんになるまで飲むなんて、どれだけ欲深なんだ…」
と一瞬驚き、次には、くすくすと笑いがこみ上げてくるお話ですね。
しかし
『どうしておばあさんは、そこまで若返ってしまったのか。
いくらなんでも、子どもになった時点で自分で止めるのではないか』
という点に着目しながらよくよく文章を読んでみて…
私は、このお話に潜んでいるミステリーに気が付いてしまいました!
まず第一に、おじいさんが『若返りの水』を飲んでから家についておばあさんに言われるまで、若返った自覚がないことです。
ここから考えられるに、『若返りの水』には速効性はなく、自覚症状もあまり出ないことが分かります。
一度に飲む用量・用法が全く分からず、臨床実験もおじいさん一人しかしていない、実に怪しげな薬です。
そう考えると、いくらおじいさんが若返りに成功したからといっても
「あっ、じゃあ、私も」
と安易に手を出せないような怖さを感じませんか?
第二に、もしかしたらこの水は
『たくさん飲んだら若返る』
のではなく
『若返りたい、という気持ちが強ければ強いほど、飲んだときの効き目がアップする薬』
なのではないか? という疑問です。
そう、おばあさんは、もしかしたら、おじいさんと同じ量しか飲んでいない可能性があるのです。
「飲みすぎて、赤子になってしもうた…」
というのは、お話のオチをつけるための、単なるおじいさんの推測でしかないのですから。
そして、第三に…
気になるのは、このお話の後日談です。
おじいさんが、この後もおばあさんを我が子のように愛情を込めて育てたのなら、おじいさんの愛は確信できます。
しかし、もしかしたら、村人に気付かれないように、こっそり捨ててしまうかもしれません。
そう考えると、おじいさんはわざとおばあさんに、自分の飲んだお水の量を教えなかった可能性も0とは言い切れなくなってきてしまいます。
「とりあえず、今のおばあさんはいらない。
おばあさんが美しく若い姿になってしまうなら、しめたもの。
万が一飲むのに失敗して、子どもや赤ちゃんにでもなったら、捨ててしまおう」
という、恐ろしい計画です。
…などと、あれこれ邪推してみましたが(笑)
要するにこのお話が伝えたいのは
『過ぎたるは及ばざるがごとし』
ということですよね。
何事も折り合いをつけ、ほどほどに。
『適当』
というと、真面目で一生懸命がモットーな方から見ると悪いイメージに映るかもしれませんが、頑張りすぎて身体を壊しては、元も子もありません。
リラックスして、自分自身をいたわり、睡眠の量や余暇の時間も大切にしながら
「ぼちぼち頑張った」
と思えるくらいの毎日を過ごしていきたいものですね。
若返りの水って、綺麗で冷たくて美味しいの?
私も、一口でいいから飲んでみたいなぁ。