飯降山のサクッとあらすじ!
まずは、登場人物と簡単なあらすじを見ておこう♪
- 三人の尼…山へ、きびしい修行をしに来た女の僧たち。天から降ってくるおにぎりを食べるようになる。
- ある山へ三人の尼が修行に入っていき、食べるものも草や木の実でつらい日々を過ごしていた。
- ところが天からおにぎりが降ってくるようになり、尼たちの腹は満たされはじめる。
- しかしもっとおにぎりを食べたいと思い、年上の尼とまんなかの尼は年下の尼を殺してしまう。
- 結局、一番年上の尼がまんなかの尼も殺してしまったが、おにぎりが降ってくることは二度となかった。
飯降山のあらすじ!
むかしむかし。
ある山に、三人の尼が入っていきました。
尼たちはきびしい修行に来たのです。
その山では、気持ちよく眠る場所などなく、木の下で眠るしかありませんし、
尼たちは殺生(せっしょう)ができないので、草や木の実しか食べられませんでした。
一番若い尼は、つらさにたえきれずしばしば泣きました。
それを、まんなかの尼がなぐさめ、一番上の尼がやさしい笑顔で見守りました。
尼たちは、くるしい修行のなか、三人で支えあっていたのです。
ある日のこと。
「あっ! あれはなんでしょうか」
天から、おにぎりがみっつ降ってきたのです。
尼たちは、仏様がくださった修行へのごほうびだとありがたく食べました。
それからというもの、毎日おにぎりが降ってくるようになり、
尼たちが山の草や木の実を食べる必要はなくなりました。
ところが、しばらくして。
一番年下の尼が、山道に変なものを見つけました。
それは骨になった鳥のなきがらと、たきびの跡でした。
「まあ。誰かがおなかをすかせて、鳥を焼いて食べてしまったのだわ……」
年下の尼は、顔をまっさおにしてふるえます。
もしかすると、おなかをすかせて鳥を殺したのは、
残る二人の尼のどちらかかもしれないと思ったからです。
「おにぎりを食べるようになって、もっと食べたいと鳥を殺してしまったのではないですか」
「いいえ、決してそんなことはありませんよ」
おびえながら鳥のことをふたりに話しましたが、
誰も殺生(せっしょう)はしていないと言いました。
そして結局、三人で鳥に念仏をとなえることにしました。
しかし、目を閉じて念仏をとなえていた年下の尼が視線を感じ目を開けると、
二人の尼がこちらを見ています。
そして年下の尼は、二人に殺されてしまいました。
「これで、三つのおにぎりを二人で食べられるようになりましたね」
一番年上の尼と、まんなかの尼は、うきうきとしておにぎりを待ちました。
けれど、今度は三つではなく、二つしか降ってきませんでした。
これでは三つを三人で食べていたときと、何にも変わりません。
尼たちはとてもがっかりしました。
そして、まんなかの尼が、年下の尼を殺してしまったことを後悔しはじめました。
「ああ、なんてことをしてしまったのだろう、なんてことをしてしまったのだろう……」
年上の尼がおだやかに声をかけます。
「あれからもおにぎりは、ふたつずつ降り続けています。仏様が私たちをゆるしていらっしゃるのです」
「でも……」
まんなかの尼はまだ、落ち込んでいます。
年上の尼は、殺してしまった尼のために念仏をとなえよう、とさそいました。
ですが、目を閉じて念仏をとなえていたまんなかの尼が視線を感じ目を開けると、
年上の尼がこちらをじっと見ていました。
そしてまんなかの尼は、年上の尼に殺されてしまいました。
さあ、これで二つぶんのおにぎりを独り占めできるだろう。
そう思って、年上の尼さんは今か今かとおにぎりを待っていました。
しかし、おにぎりが降ってくることはもう二度となく、
いつしか年上の尼さんは誰かわからないほどぼろぼろになって、山からおりていきました。
以来、この山は「飯の降る山」と書いて、「飯降山(いぶりやま)」と呼ばれたそうです。
おしまい。
飯降山のまとめ、教訓と感想!
最初は支えあっていた尼たち。
そのうちの二人は途中から、ちがう人になったようにひどいことを始めてしまいました。
それは一体どうしてでしょうか。
もしかすると、“欲”のせいかもしれません。
「あれをしたい」「こうなりたい」というような気持ちが欲です。
尼は、「もっとおにぎりを食べたい」という欲が我慢できなくなってしまったのでしょう。
きっと、草や木の実しか食べられずおさえつけていた気持ちが爆発してしまったのだと思います。
このお話のようにならないためにも、欲を溜め込みすぎず、欲で誰かを傷つけることがないように、気をつけていきたいですね。
おにぎりはみんなでなかよく食べたほうが、ずーっとおいしいと思うんだけどなぁ。